宗教の話って、やっぱ、抵抗ありますよねぇ😓
ざっくりと日本人は...って、言っちゃいますが、
日本人って、自分が入ってる宗教の話はまずしませんよね。
とにかく【無宗教です!】という人が多い。
そもそも宗教自体を嫌ってたりするのか?
近しい人たちとは話題にしちゃいけない話題。 それが宗教。
親しくなったからといって信仰している宗教、宗派の話なんかしない。
逆に、『何、信仰してるの?』
『今度、僕が入ってる宗教の勉強会においでよ!きっとあなたのためになれる!』
な〜んて話、しちゃったら 即、新興宗教の妄信者扱い! 勧誘カンベン!!となる。
僕が小学生の頃(昭和50年代)、近所に住んでた創価学会の信者のお宅は、
以前その家でお祀りしてた仏壇を家の前の公道で燃やしちゃったらしい。
燃やしたところを実際に見てなくて大人たちの会話で知ったんだけど、、
(今まで家の中あった仏壇がボーッ!と燃えるとこを見てられる神経ってスゴいな!)
って、思ったっけ。
しかも、同じ町内の同じ通りに2軒。
それでも、町内のお祭りや子供会、清掃活動などはきちんと他の町内の方達と一緒になって取り組んでたし、周りも表面上は宗教が違っても表面上は普通にしてたと思う。
日本人の大多数の人は、何か新興宗教に入ってる人を特別視する傾向があって、
では、その新興宗教が昔ながらの仏教宗派とどこがどう特別違うのか?ということには割と無関心。新興宗教ってだけで半ば毛嫌い。
『信仰は個人の自由ですものね。』なんて外で言ってるオバはんが
(自分の家の中では)あんな人とは関わらん方がえぇな。なんて言ってたりする。
思うに、しつこいくらいに聞いてあげればいいのに、、、どんな宗教なのか?って
ひとりだと勧誘されそうで恐いなら、仲間引き連れてきてもいいから(笑)
その新興宗教の教えや勧誘の仕方を知らないから無関心のまま恐怖する。
それと、自分自身にコレ!という信仰がないのも まぁ、変だよね。
神さまでもキリストさんでも仏教の仏さんでもなんでも それこそ自由なんだから
自分が困ったり迷ったり自信を失くしそうになった時に
頼って信じて信じ抜ける信仰がないっていうことが僕には不思議に思えてならない。
もちろん『私は無宗教です。』という人がいて当然だし、良いと思う。
無宗教って言うても、神さまという存在を信じてないから無宗教 なのか
科学的でないから宗教それ自体を認められないから無宗教 なのか
いろんな考え方、立場、意見があって然るべきですよ、ねー
でも、僕からしたら、神さま信じられへん! とか 科学的じゃないから!
と言ってる方達って、まぁ、傲慢な方なのかなぁ? と思っちゃうけどねー
自分が困ってたときに周りの人たちに助けられた経験もいろいろ味わってきたりすると
『あぁ、有難いなぁ。守って貰えたなぁ。』って、素直に感謝できる。
感謝する経験を重ねていくと、自然と神さまや仏さまなど目に見えない存在にも想いを馳せるようになっていくんじゃないのかなぁ〜と思うから。
旧統一教会の問題が世間を騒がしていますけれども、
30年前の二の舞にならないように、今度こそキッチリと取り組めると良いなぁ
テレビのコメンテーターや政治評論家の方で、すぐに信教の自由の問題に話が行ってしまう方が結構居ますけど、その方達は面倒臭いのか本質知るのが怖いのか、あんま表出て喋らんといてほしいと思う。橋下ナンチャラさんとかねぇ。。。
家庭が崩壊するくらいの献金や寄付であってはいけないけれども、
一度、新興宗教のグループに属してみるのも、案外いい経験になったりするかも..です
僕は、一時期、関西の某新宗教(その教団の人たち曰く、新興宗教でなくて新宗教だと)に入信して信者の方々と行動をともにしてましたけど、
教えはすごく為になるものでしたけど、もちろん献金はありましたよ、
なんて言ってたっけなぁ、、あぁそーそー、【心次第】ですわぁ。
なかなかに憎いネーミングでしょ?
信者自らの心からの寄付であって、教団は何も強制してません! 的な。
実際、強制されたことは一度もありませんでしたよ〜
けど、お願いはされてました(笑)
当然ですよね、そうやって信者からの寄付、献金で教団が運営されてるんですもん。
でも、このコロナ禍の中、教団から献金をお願いされた時に、
『いっぺん教祖さん、バイトでもしてみたら? お金要るんやったら〜』
って、思ったら、その教団に入ってるのがアホらしくなってきちゃったんですよね、、
で、抜けちゃいました! 割とすんなり。一言、お世話になりました!
それだけです。
お互い必要なくなったら、ハイ!次っ! てなもんですわぁ。笑
...あぁ、もうちょっと、頭良さそうなこと書きたかったのになぁ。。。
現代における宗教論。 みたいな
今度はもうちょっと、整理してから書き進めてみますね〜(誰に言うてるねん?)